大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

高松高等裁判所 昭和38年(く)20号 判決

主文

本件抗告を棄却する。

理由

先ず、本件抗告は、愛媛県中央児童相談所長から原審の松山家庭裁判所に児童福祉法第二七条の二、少年法第六条第三項に基づき少年に対する強制的措置の許可を求めてきたのに対し、原審が少年法第二三条第一項、第一八条第二項により期限を付して強制的措置を許可した決定に対して申立てられたものであつて、右決定は少年法第二四条第一項各号所定の保護処分に該当しないので、同法第三二条に照らし本件抗告の適否について考察する。およそ少年法第三二条が保護処分の決定に対して抗告をすることができる旨を規定したのは、保護処分決定がその性質上少年の人権に直接影響する事項を内容とするものであることに鑑み、これに対して不服申立の途を開いたものであることを考慮すれば、必ずしも抗告の対象を厳格に同法第二四条第一項の決定に限定する趣旨ではないものと解すべきである。そして少年法第六条第三項による強制的措置許可の申請があつた場合、少年に対し少年法所定の保護処分に付することもできると解されること、また右措置自体としてもその内容は極めて強力に少年の自由を拘束し得るもので、少年院収容と同視し得る程の強制力を伴うものであることを考えれば、人権保障の建前からも右強制的措置を許可する同法第一八条第二項の決定に対しても、少年法の抗告に関する規定を類推適用し得ると解するのが相当であり、従つて、本件抗告の申立は適法であるというべきである。

よつて、本件抗告の趣意について審究する。

右抗告の趣意は記録中の少年の法定代理人父五百木冨徳、同母五百木歳子並びに附添人橋田政雄各提出の各抗告申立書に記載のとおりであるから、これを引用する。

抗告趣意第一点、原審認定の少年の触法行為中強制猥褻致傷、殺人の所為に対する事実誤認の主張について。

所論は要するに、右強制猥褻致傷、殺人の所為は少年の行為ではないのに、原審が少年の犯行であると認定したのは事実を誤認したものである。即ち右犯行について自白している少年の供述は任意性を欠くものであり、またその真実性もないものである。そして右犯行については、それが少年の犯行であることを認定するに足りる物的証拠その他の客観的資料は存しないし、また少年の自白の真実性を補強するに足りる証拠もないのみか、右犯行の日時には少年が自宅に居住していて、犯行現場には居らなかつたアリバイが明らかであるから、少年の犯行ではないことが明白であるというのである。

しかし、原審において取調べた各証拠並びに当審における事実取調の結果を参酌して検討して見るのに、本件強制猥褻致傷、殺人の犯行は、少年の犯行であることが肯認されるのであつて、所論は理由がないものと判定せざるを得ない。以下その理由について説示する。

(一)  自白の任意性がないとの主張について。

所論は、本件強制猥褻致傷、殺人の犯行は、一四才未満の少年の犯行所謂触法少年の犯行として取調べがなされたのであるが、およそ触法少年については当該少年を被疑者とする捜査はなすべきではなく、他に真犯人がいるか否かの捜査即ち不詳の被疑者に関する捜査としてなされるべきであり、また触法少年を取調べる場合は保護者、学校の担任教師等適当な立会人の立会を求めたうえで行なうべき旨が警察庁内部の方針として通達されているのにかかわらず、本件犯行の捜査は右の方針に違背して進められたことはその経過に照らしても明らかであり、その結果少年の自白がなされるに至つたものであることに照らせば、右自白は本件捜査に当つた警察官が少年に暗示を与え或は少年が強要されてなされたものではないかと推測されるのであつて、果して少年の自由意思によるものかは極めて疑わしく到底任意になされたものとは認め得ないものであるというのである。

そこで、検討して見るのに、触法少年の処理については所論の如き方針が警察庁内部の通達として示され、触法少年と面接のうえ調査する時は、やむを得ない場合を除き少年と同道した保護者その他適切と認められる者の立会のもとに行なうよう留意すべき旨等が指示されていることは昭和三一年五月二四日付警察庁刑事部長通達及び昭和三五年三月一八日付警察庁次長通達の少年警察活動要綱等に照らして明らかである。そして原審決定書中の自白の任意性と題する部分に記載されている各証拠に当審で取調べた証人山本満一、同田中希信、同田所秋義、同蓮沼守夫、同高山優、同佐伯勝美の各供述を参酌して審究すれば、原審認定の如き経過を経て本件犯行についての少年の自白がなされたことが明らかであり、少年作成の昭和三八年五月一四日付書面及び同月一六日付、同月一七日付、同月一八日付五百木冨徳の各申述書によつて認められる少年の自白の内容及びその経緯、並びにこれと併行して行なわれた同月一五日付、同月一八日付、同月二〇日付各実況見分調書の実況見分の結果及びその経緯に照らせば、本件犯行についての少年の自白が所論の如く捜査に当つた警察官の暗示若しくは強要によつてなされたものとは到底認められず少年、が自由な意思に基づいて任意になしたものであることが明らかである。そして前記各証拠によれば本件犯行の捜査については、少年との面接による調査についても触法少年の処理に関する前記各通達による方針に従つて特段の配慮を払うとともに少年以外の真犯人の存否について、本件犯行の態様から推及して性的変質者、不良素行者等の捜査がなされていること、また少年が本件犯行について自白した手記を作成(原審認定の如く少年が始めて手記を書いたのは昭和三八年五月一三日である)しても、それによつて直ちに少年の犯行であることを前提とする捜査を進めることなく、他に真犯人が存しないかとの捜査方針のもとに、少年のアリバイについての捜査を行なつていることが認められるのであつて、所論の如く触法少年の処理方針に違背した捜査を行なつたとの事情は認められない。

(二)  自白の真実性がなく、またその真実性を補強するに足りる証拠もないとの主張について。

所論は、少年の本件犯行についての自白は、捜査に当つた警察官から暗示され或は強要された結果、虚偽の事実を述べたものであつて、それは少年が作成した昭和三八年五月一四日付書面に記載されている記載内容自体を考察しても、極めて不自然な作為的な点が認められること、また本件犯行の態様からすれば、犯行現場から収集されるべき物的証拠、または被害者の死体に存していた頸部の爪痕、咬傷の歯型等少年の犯行であることを客観的に断定し得る証拠の存することが予測できるにもかかわらず、捜査過程において何等客観的な資料が得られないまま少年に対する取調べが進められていることに照らしても、少年の自白には真実性がないものというべきであり、またその真実性を補強するに足りる証拠も存しないというのである。よつて検討して見るのに、原審決定書中の自白の真実性と題する部分に記載されている各証拠に当審で取調べた証人梶原勘一、同佐伯勝美の各供述並びに鑑定人三上芳雄作成の鑑定書を参酌して審究すれば、原審が、少年の自白している本件被害者に出会うまでの少年の行動及びその経路、その後犯行現場に至るまでの経路及び犯行時間、犯行の動機、態様、犯行現場における状況、犯行後の逃走経路の諸点につき詳細に検討したうえ、右自白は客観的状況と符合し、かつ犯行の手段、方法、犯行現場の状況については詳細かつ正確であるとして、その真実性を認定していることは優に首肯されるのであつて、右認定に何等の誤認も見出されない。そして右認定について原決定書で詳細に説示されている如く、本件犯行が少年の犯行であることについての直接的な客観的資料は存しないが、その真実性を補強するに足りる証拠が数多く存することは明らかである。

(三)  アリバイの主張について。

所論は、原審が本件犯行の日時として認定している昭和三八年二月一二日午後七時四〇分頃から午後八時までの間は、少年は自宅に居つたものでアリバイが成立しているというのである。

よつて、検討して見るのに、原審並びに当審における証人伊藤静子、同西田タマヱの各供述によれば、少年の母歳子の実姉伊藤静子は実母の西山タマヱとともに昭和三八年二月一二日午後七時頃少年方を訪れ、静子の夫正親が翌一三日胃の手術を受けることになつていたので、歳子にその立会を依頼する旨の話をしたうえ、同一二日午後八時頃少年方を辞去したが、その間歳子は同席していて、その営業している屋台店からそばを持ち帰つて静子に供したが、その時少年の弟光一が静子の食べているそばを欲しがつたのを少年が「いやしいね」と言つたことがある旨を、原審並びに当審における証人西山稔の供述によれば、同人は歳子の弟であるが二月一二日午後七時過頃少年方を訪れ伊藤静子が同女の夫正親が胃の手術をするので立会を頼みたいと歳子に話している時同席して居り、その頃少年は少年方に居つた旨を、原審並びに当審における証人北尾勤の供述当審における証人北尾ツユ子の供述によれば、右歳子の妹である北尾ツユ子は同女の夫北尾勤とともに二月一二日午後六時頃から少年方に赴いて同日午後九時三〇分頃までテレビを見ていたが、その間伊藤静子が西山タマヱとともに訪ねて来て歳子と静子の夫正親の胃の手術のことについて話し合つていたことがあり、また北尾勤は当日チョコレートを買つて行つて歳子の子供達に与えたが、その時少年にも与えたので少年が居つたことは間違いない旨を、それぞれ供述し、原審並びに当審における証人五百木歳子及び同五百木礼子の各供述によると、五百木礼子は少年の姉であるが、いずれも前記各証人の供述に照応する供述をなして少年が在宅していた旨を述べている。以上各証人の各供述は、いずれも所論の少年のアリバイの主張に沿うものであるが、右証人北尾ツユ子の当審における証言には、同時に二月一二日午後六時頃少年方に赴いたのは自分だけであつて、夫の勤は自宅で寝ていたが同人は夜勤に行かなければならないので同日午後九時頃自宅に帰つて勤を起した旨の前記供述と相反する供述がなされており、また五百木礼子の右証言はその供述内容自体において果して明確な記憶に基づくものであるかが疑わしいのみならず、原審で取調べた同人の司法警察員に対する各供述調書によれば二月一二日に少年が外出していて同日午後八時頃に帰つて来たこと及びその後の状況について詳細に供述し、しかもその供述は原審で取調べた五百木冨徳の司法警察員に対する昭和三八年五月一五日付供述調書の供述にも合致し、かつそれが二月一二日であつたことの根拠として述べている済美高等学校で「どろかぶら」という演劇が催された日であることは、原審で取調べた近藤健一及び森春義の司法警察員に対する各供述調書並びに当審における証人近藤健一の供述に照らして明確であり、また当日弟光一とともに風呂屋に入浴に行つた際知人の渡部清水と出会つたこと、その帰りに両親の営んでいる済美高校前の屋台店に立ち寄つた際の状況について供述していることも渡部清水の司法警察員に対する供述調書の供述と合致すること(もつとも当審における同人の証人としての供述は、右供述調書で二月一二日のことであつたと述べている点を二月一三日であると訂正し、当審で取調べた証人今井ハユミもそれに沿う供述をしているが、当夜雪が降つた旨の供述を考察すれば、司法警察員作成の昭和三八年二月一九日付捜査状況報告書に照らし、二月一二日であつたことが正確であると認められる。)そして近藤健一及び森春義の右各供述調書によると二月一二日の午後七時頃から午後七時三〇分頃までの間済美高等学校前で五百木冨徳、同歳子が営業している屋台店で飲酒した際、その間五百木歳子が居つて雑談した旨の供述があり、原審で取調べた五百木歳子の司法警察員に対する供述調書によれば右供述に照応する供述がなされていることがそれぞれ認められ、右認定の各事実に照らせば、五百木礼子、五百木冨徳、五百木歳子が二月一二日のことを想起して当日の状況について述べている右各供述調書中の各供述は、右日時を想起した経過、根拠に照らして信用度の高いものであるのに比して、前記の証人伊藤静子、同西山タマヱ、同北尾勤、同北尾ツユ子、同五百木歳子、同五百木礼子の各供述中、二月一二日の状況を想起した理由として供述している事情は、想起するに至つた時期等を考慮すれば、未だ信用性の弱いものと思料され、右各証人と少年との間の身分関係等を考察すると、未だ直ちに採用することはできないものと考えられる。従つて所論のアリバイの主張については、結局これを肯定するに足りる証拠はなく、原審において取調べた全証拠並びに当審における事実取調の結果を勘案しても、右認定を動かすに足りる証拠は存しない。

以上各認定の如く所論の事由はいずれもその理由はないものと認めざるを得ないのであつて、記録を精査するも原審が事実を誤認していると思料される何等の証拠も存しない。論旨は理由がない。

抗告趣意第二点、原審の処分は重きに失し、不当であるとの主張について。

本件記録及び添付の少年調査記録、児童記録票を精査して検討するに、少年は自己中心的で自閉的な感性の沈滞した陰性の性格者で、意思疎通性が充分でないため対人的な親和性を欠いて孤立性が強く、両親及び姉弟の家族に対しても殆んど寡黙に近い生活態度をとつていたため、情操面の視野が狭窄になる傾向を強めていたが、反面気分易変的な衝動性に富み、即行的な行動に及び易い傾向も強く、右のような相反する性格偏倚は精神病質者に類似する程強度なものであつて、そのため自己の欲求を刺戟された場合抑制力が働かないまま直接衝動的に発現し易い状態にあつたことが本件各非行を累行することになつたものと認められるのである。

それは本件非行のうち各窃盗の所為が、その動機としてそれ程明確な目的があつたものとは考えられない事情の存することに照らしても窺知されるのであり、とくに本件強制猥褻及び強制猥褻致傷、殺人の各非行(所論は強制猥褻致傷、殺人の所為が少年の所為ではないことを前提として原審の処分不当を主張しているが、それが少年の所為であることは既に説示したとおりである。)は、少年が年令に比して性的関心が極めて強く、情操面の視野の狭窄から早発的な性的欲求を助長し、その欲求不満が衝動的に発現された結果累行されたものであることが認められるのであつて、本件各非行に顕現されている少年の右の如き強度な反社会的性格に照らせば、少年が再び非行を繰り返す危険性は極めて強いといわざるを得ない。そして少年の両親は少年の教育に熱意を示しているとはいえ、物的な形式的な面に重点が置かれて情操面の監護には不充分な点が認められ、とくに両親ともに夕刻より深夜にかけて営業する屋台飲食業を営んでいるため、その間の少年の監護は未だ一五才の年少者である少年の姉に委ねていることを考慮すれば少年の右の如き反社会的性格を矯正して健全な社会適応性を育成するためには少年を教護院に収容して、その行動の自由を制限し又はその自由を奪うような強制的措置をとり得るようにすることはやむを得ないものというべきであつて、右と同一の見解に基づく原決定の処分は相当であり、決して重きに失するものとは認められない。論旨は理由がない。

よつて本件抗告は理由がないので少年法第三三条第一項に則り主文のとおり決定する。

(昭和三九年一二月二五日 高松高等裁判所第一部)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例